itomaのブログ

病気と戦って26年?、肝硬変と二度の肺癌からの生還

お世話になった訃報に接して

昔お世話になった恩師の訃報を友人から聞いて葬儀に出席した。前にも書いたが、このようなことがないとかつての仲間に会えないとは皮肉なものである。それだけこちらも歳をとったということでもある。中には10年以上も会っていなかった友人もいて、姿形がかなり変わっていてすぐには分からなかった人もいた。懐かしい反面、何を話をしていいのか、戸惑いもあった。長く年賀状のやり取りだけをしているだけになると共通の話題がないのである。それで仕方なく、お互いの近況を知らせあうだけで終わり、話が続かなくなる。こういう場合の気まずさはなんとも言いがたい。

結局、他の知り合いを見つけてじゃあまたということになるが、果たしてまたの機会があるのか。おそらく共通の友人の葬儀でもない限り、顔を合わすことはないだろう。なんと皮肉なことか。今回の葬儀に出席して感じたことは、やはり現役を退くと途端に出席者が少なくなることである。まあ遺族にしてみれば、出席者が少ない方が葬儀に伴う負担もそれだけ少なくなり、後の始末が楽になる。最近、家族葬が多くなっていると聞いたが、高齢社会では当人しか知らない関係の方がいても、家族からしたら連絡の取りようがなく、連絡が取れないまま葬儀を行うことになる。後ほど、人づてに聞いたということで、訪ねて来られる方がいたと今回の葬儀の後ご家族の方から聞いたが、そういうケースは今後益々増えるであろう。結局、高齢になるとどうしても人間関係が希薄になり、その分だけ連絡を取るのが難しくなるということであろう。ならば、いっそのこと家族葬で済まそうということになる。さて我が家ではどういう葬儀になるのか、少し気になるが、死んだ後のことなんか知っちゃあいないというのが本音である。