itomaのブログ

病気と戦って26年?、肝硬変と二度の肺癌からの生還

孤独死という言葉

  昭和を全力で駆け抜けた人達の訃報が相次ぎ寂しい限りである。子供の頃、憧れた方々が次々にこの世を去っていく。ここで疑問に思うのは野村監督にしろ宍戸錠さんにしろ、亡くなる時に誰もいなかったのであるが、これは孤独死と言うのであろうか?

 最近、孤独死と言う言葉が巷に氾濫しているが、この言葉の響きの中に寂しさ、切なさといったものしか感じないのだが、果たしてそうなのか?周りの方々に見守られながら亡くなるのとどこに違いがあるのかと考えてしまう。亡くなる人はほとんどが一人で亡くなるのである。心中でもない限り、一人で亡くなる。

 こう考えると孤独死という言葉を使うのはどこか違和感を感じてしまうのである。現に野村監督や宍戸錠さんの死には孤独死という言葉はそぐわないのである。死に際してたとえ周囲に人がいなくても堂々たる死である。

 そろそろ孤独死という言葉を使うのはやめたらどうだろうか。高齢化時代の今日、まして一人世帯が多い状況の下では一人で死ぬのは当たり前になりつつある。それに孤独死という言葉を使うのは死者への冒瀆としか思えない。

一枚の写真はどこでしょう。ヒントは本州の最も西に位置する市にあります。二枚めはなんとか鳥ということでけっこう知られるようになりました。最初食べた時はなんじゃこれ!という印象でしたが、たまに食べに行っています。