itomaのブログ

病気と戦って26年?、肝硬変と二度の肺癌からの生還

二度の肺癌を経験して感じたこと

同じ部位に二度癌を患ったら大概は生きていないと思うが、私の場合は悪運が強いのか生き延びている。友人に言わせれば、いつもギリギリのところで踏みとどまっている点で案外長生きするかもしれないとのことだ。それはともかく、幸運にも生かしてもらったのだから、なんとか人の役に立ちたいとは思うが、いかんせん身体が弱いため、ボランテア活動もできない。幸い、現在の仕事が見方によれば人様の役に立っているとも言えない訳ではないので、仕事に全力で打ち込もうと思っている。


さて、本題に戻るとまず2回目の癌だが、肺腺癌と決まったわけではない。細胞を取って検査したわけではないので、医者の言葉をそのまま信じたに過ぎない。また、前に書いたように癌であったかも疑わしい。ともあれ、現在生きているのだから、それでヨシとするしかない。一回めの入院では病院全体が暗い雰囲気で、看護師さんの声だけが妙に明るかったので、違和感を感じだことを覚えている。おそらく、当時はまだ癌は死の病という捉え方が一般的であったのがそうした雰囲気を醸し出していたのだと思う。

二回めに入院した時は雰囲気が様変わりしているのに驚いた。明るいのである。それは作られた明るさではなく、患者同士の会話もなんとなく明るいのである。この頃にはすでに癌に罹る人が多くなる一方で、医療技術の発達により、癌を克服する人が格段に増加したためだと考えられる。患者の方と話してみると再発した方でも元気になった方もいるし、転移した方でもけっこう長生きされているという話は意外にも多かった。

私のように同じ部位に癌ができたという方もいた。国民のかなりの割合が癌に罹る今日ではもはや癌は特別な病気ではなくなったと改めて感じた。もうすぐ検査の日だが、特に心配はしていない。私の場合、再発を告知されようと治す方法はないので、そのままにしておくしかない。むしろ、私自身は癌で死ぬよりも肝硬変による合併症で死ぬだろうと漠然とだが思っている。残り少ない命を謳歌しようと思ってはいるが、これまで特に変わったことはしていないし、これまでどおりの日常を過ごしている。たぶん、余命何日と言われても何か特別なことをすることはないだろう。

次の写真はやはり樋口一葉ゆかりのものである。

一枚めの写真はかつての吉原では周りを掘で囲んでいたのだが、その石垣である。今はここだけにしか残っていない。もう一枚は吉原の遊女が亡くなった後、投げ込まれた寺である。中に遊女を供養する塔が建っている。しばしば永井荷風もここを訪れたとされ、彼に関わるものもある。地下鉄三ノ輪駅から歩いて数分の距離である。