itomaのブログ

病気と戦って26年?、肝硬変と二度の肺癌からの生還

まだ大丈夫かな?

 趣味の話ができるということは、まだまだ余裕がある証拠かな?前回の血液検査の結果もパッとしたものではなかったが、特に数値が悪くはなっていなかったので、精神的にも余裕ができている。といっても、脚の浮腫は相変わらずだし、少し歩いただけで、息が上がってしまう。時々、若い頃のようにかけっこをしたり、飛んだり跳ねたりしたいのだが、それをやると命を極端に縮めてしまうことになりかねない。

 若い頃、運動が好きだったから余計そう思う。運動といえば、東京オリンピックは一体どうなるのだろう。これに命をかけてきた若者からすれば、中止になるとこれから何を支えに生きていくのだろうかと思ってしまうが、こればかりはどうしようもない。今の時点で画期的なワクチンでも開発されない限り、ほぼ来年の開催も絶望だと思う。

 これは前にも書いたかもしれないが、前回の東京オリンピック、忘れもしない1964年の大会の時、私は確か中学一年だったと思うが、大会前からワクワクしていたのを覚えている。我が家もそれを見越してテレビを買っていた。もちろん、白黒テレビだが、それでも大会が始まるとそのテレビの前から離れようとしなかった。当時、人気があったのは体操、重量挙げ、柔道、水泳、レスリング、マラソンなどであった。なぜか重量挙げはほとんど見ていた。

 この頃は高度経済成長真っ只中で、国民全体が明日に向かってひたすら歩んでいた。日本の将来はバラ色であった。子供の私でもそうなることを信じていた。

 しかし、現実はそう甘くはなかった。当時、私が住んでいた福岡県の筑豊地方は経済成長から取り残されていた。なぜなら、飯塚、田川、直方といういわゆる筑豊の三大都市は石炭産業が衰退して不況が深刻化していたからだった。日本全体は好景気に沸いていたのに、筑豊だけは取り残されていた。まだ、その頃はそれが実感できずに、オリンピックムードに酔っていた。たぶん大人はオリンピックどころではなかったと思うが、それが中学一年の子供に分かるはずがない。我が家はそれからまもなくして筑豊を離れるが、私には筑豊で住んだ6年間はいい思い出である。